【JAZZ・DRUMS】おすすめジャズドラマー10選!

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こんにちは、ベア三郎です。

ドラムはベースと一体となって、バンドのグルーヴを支える大切なポジション!

特にジャズって、ドラムがめちゃくちゃかっこいいんですよね〜

ロック・ドラムとは違って、なんだか叩き方も独特で、雰囲気も抜群にオサレ・・・

スネアやシンバルの数も少なくてシンプルな構成なのに、複雑で幅広いサウンドを聴かせてくれます。

今回は、そんなシャレオツで、個性的なジャズ・ドラマーたち10名を一挙にご紹介。

ベア三郎

ジャズの名曲と共にお届けします。

目次
ベア三郎
家電製品アドバイザー(総合)
家電製品アドバイザーの資格を持つ家電の専門家。ほかにも複数の国家・ベンダー系IT資格を持つエンジニアの側面も。趣味のギター・ピアノは20年超のキャリアがある音楽大好きこだわり強めのクマです。

バディ・リッチ(1917-1987)

バディ・リッチは、米国ニューヨーク州にてヴォードヴィリアンの家庭に生まれました。圧倒的なパワーとグルーヴ感を持ち、今なお、多くのジャズ・ファンから人気を集める伝説のジャズ・ドラマーです。

幼少の頃から天才的なドラミングで周囲を驚かせ、11歳の頃には地元のジャズ・バンドでリーダーを努めます。その後、1937年に加入したジョー・マーサラ楽団を皮切りに、数々のビッグ・バンドやセッションで活躍しました。

バディ・リッチの名声を決定付けたのは、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらと作成したアルバム「バード・アンド・ディズ」です。このアルバムは、ビバップの誕生を告げる歴史的なアルバムとして語り継がれています。晩年は、自らのビッグバンドを結成したり、ファンクにも傾倒し、幅広いジャンルのファンから熱い支持を得ました。

Big Swing Face

これぞバディ・リッチと言えるモダンなスウィング感!

Nuttville

圧倒的な存在感を放つライド捌きに開いた口が塞がりません。

アート・ブレイキー(1919-1990)

ジャズドラマーと言えば、アート・ブレイキーが真っ先に思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。

アート・ブレイキーは、1919年に米国ペンシルバニア州で生まれました。1940年代にマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーといったビバップを代表するミュージシャンと次々に共演。ビパップを代表する若手ドラマーとして成長を遂げます。その後、1951年にマイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズとのセッション『ディグ』で、ビバップをよりメロディアスにしたハード・バップという新しいスタイルを見出します。

ハード・バップに可能性を感じたアート・ブレイキーは、1954年にホレス・シルヴァー、クリフォード・ブラウンらと『ジャズ・メッセンジャーズ』を結成。ファンクやラテンのリズムを取り入れた斬新なサウンドで、ハード・バップの時代を築き上げました。

Roland Godefroy [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

Moanin’

ジャズを代表する伝説的な名曲。出だしのフレーズはあまりにも有名です。

Mosaic

フレディー・ハバート、カーティス・フラー、ウェイン・ショーターといった伝説的な管楽器奏者を従えた、ハード・バップを代表するまさに傑作。

フィリー・ジョー・ジョーンズ(1923-1985)

フィリー・ジョー・ジョーンズは、1923年に米国ペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれました。先輩ドラマーだったジョー・ジョーンズと区別するため、「フィラデルフィア出身の〜」を意味する「フィリー」を頭につけて呼ばれています。

フィリーは、1947年からニューヨークのカフェ・ソサエティでビバップを演奏し、1955年からはマイルス・デイヴィス・クインテットの一員として活躍します。ソニー・ロリンズやビル・エヴァンスらとも共演を重ね、ハード・バップ期を代表するドラマーとしてその名を馳せました。

フィリーといえば、ビバップ以降のモダン・ジャズに、革命的とも言えるドラミング・スタイルを取り入れたことで有名です。ダブルストロークや、跳ねるような3連符(6連符)をベースとしたパラディドルなど、様々なテクニックを駆使し、その後のモダン・ジャズ・ドラマーたちに多大な影響を与えました。

Blues for Dracula

フィリーの笑い声から始まるこの曲は、キワモノではなく、超絶技巧の名演を納めたとっても内容の濃い1曲。

Trick Street

流れるようなドラミングが素敵。シビれます。

マックス・ローチ(1927-2007)

マックス・ローチは、1924年にノースカロライナ州で生まれました。その後、ブルックリンに移り住み、10歳の頃にはゴスペル・バンドでドラムを演奏していたそうです。

1940年代に、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらと共にビバップの最盛期を担います。その後、当時ジャズ・メッセンジャーズに在籍していたクリフォード・ブラウンと、1954年に双頭クインテットを結成。ブラウンが1956年に交通事後で死去するまでの約1年半を通して、ジャズ・ファンの人気を博しました。

その後、ソニー・ロリンズと共演した『ヴァルス・ホット〜ジャズ・イン3/4タイム』や、デューク・エリントと共演したマネー・ジャングル、当時の妻でジャズ・ボーカリストのアビー・リンカーンとのアルバム『ザッツ・ヒム!』など、数々の歴史的な名盤を残しています。

また、1970年代にはマサチューセッツ大学の教授となり、教育者としても功績を残します。自身のバンドにおいては新人を積極的に起用して、ジャズの発展に大いに寄与しました。

Jordu

クリフォート・ブラウンとの双頭クインテットによる名演。ハード・バップを代表する1曲です。

A Little Booker

23歳で急逝したトランペッターのブッカー・リトルに捧げられたナンバー。トランペットに絡むような弦楽器がめちゃくちゃかっこいいですよね!

ロイ・ヘインズ(1925-)

ロイ・ヘインズは、1925年米国マサチューセッツ州に生まれました。ジョー・ジョーンズやケニー・クラークといった先達から影響を受けて育ち、常にジャズ・シーンの最前線で活躍を続けている伝説のドラマー。チャーリー・パーカーやビリー・ホリディ、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンらとの共演を通して、十分なキャリアを積み、ジャズドラマーとしての頭角を現して行きます。

1967年には、チック・コリアと共演したアルバム 『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス』で先進的なアプローチにも挑戦。その後も、パット・メセニーのレコーディングに参加するなど、90歳を超える今でも現役で続けています。

ロイ・ヘインズは、そのキャリアに裏付けされた超人的なテクニックなのは言うまでもありませんが、柔らかなタッチによって繰り広げられる、創造性豊かなハイハットとライドワークに定評があります。多くのジャズメンを虜にしてきた彼のドラミングは、後世に残る伝説として語り継がれるでしょう。

Professor Bop [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

G. W.

サックス奏者のエリック・ドルフィーの初リーダー作品。フレディ・ハバード、ジャッキー・バイアードという才能溢れる面々によるまさに名演。

Shulie A Bop

ジャズ・ボーカリストのサラ・ヴォーンの専属ドラマーでもありました。

エルヴィン・ジョーンズ(1927-2004)

エルヴィン・ジョーンズは、1927年に米国ミシガン州にて、音楽一家の下に生まれます。ピアニストのハンク・ジョーンズ、トランペッターのサド・ジョーンズとは実の兄弟です。

モダンジャズの歴史を語る上で、外すことができない重要人物として数えられるエルヴィン・ジョーンズ。非常に複雑で、難解なリズムを難なくこなすスーパー・テクニックを駆使し、1950年代からプロとしてのキャリアをスタートします。1960年にジョン・コルトレーンと出会い、彼の才覚は一気に花開きます。1962年には、ベーシストのジミー・ギャリソン、ピアニストのマッコイ・タイナーらと共に、黄金のカルテットを築きます。その後、1966年にコルトレーンがポリリズムに傾倒すると、音楽性の違いからたもとを分かちます。ですが、カルテット時代にはコルトレーンから「君の代わりはいない」と絶賛されるほど、コルトレーンから熱い信頼を得ていました。

また、大の日本好きとしても有名で、奥さんは日本人でした。毎年、新年が開けると「新宿ピットイン」で演奏するのが定番でもありました。誰も真似することができない超絶技巧と、パッションを持ったドラマー、エルヴィン・ジョーンズは、2004年に心臓病でこの世を去りました。

Tom Marcello Webster, New York, USA [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

Half and Half

コルトレーン・カルテットを支えた、エルヴィン・ジョーンズと鬼才ジミー・ギャリソン(b)との共同リーダー作となったアルバム『イルミネイション!』より。

Dear John C.

ボブ・ハマー作曲のジョン・コルトレーンに捧げられた曲。華麗なピアノに、エルヴィン・ジョーンズのアグレッシヴなドラミングが不思議にマッチしていて、こりゃもう完璧です。

ジャック・ディジョネット(1942-)

ジャック・ディジョネットは、1942年に米国イリノイ州に生まれました。現代ジャズドラマーの最高峰として、今なお現役で活躍しています。

1960年台半ばから、彼のキャリアはスタートします。若くして、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンとの共演を果たし、サックス奏者のチャールズ・ロイドのカルテットでは、キース・ジャレットとも共演しています。そのほか、ビル・エヴァンスともピアノトリオで共演。数々の伝説的なジャズメンと十分なキャリアを積んでいきます。

1968年には、マイルス・デイヴィス・クインテットに参加。ピアノにチック・コリアを迎え、ちょうどリズムセクションを全面的に入れ替えた時期でした。その後リリースされた『ビッチェズ・ブリュー』や『オン・ザ・コーナー』では、ファンクや電子音楽のエッセンスを取り入れた、マイルスの斬新なサウンドを聴くことができます。

また、ディジョネットは「ドラムンベース」の始祖としても知られています。複雑で高速なシンコペーションを駆使したドラミングは、今聴いてもドラムンベースそのものです。1990年代に電子音やサンプリングとして流行する、ずっと以前に確立していたのは驚きです。人力ドラムンベースという言葉がありますが、そもそもの最初が人力だったという。

Ric Brooks Knoxville, USA [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

New Muse

Jack In

トニー・ウィリアムス(1945-1997)

トニー・ウィリアムスは、1945年に米国イリノイ州シカゴで生まれました。幼少期からドラムを学び、16歳の時にサックス奏者のジャッキー・マクリーンにスカウトされ、ニューヨークに移ります。その後、17歳の時にマイルス・デイヴィス・クインテットに抜擢され、トニー・ウィリアムスは一気にトップドラマーの仲間入りを果たします。

その後も類稀なる才能を発揮し、数々の有名セッションに参加する傍、ジョン・マクラフリンらとともに、自らのバンド「ライフタイム」を結成。フリー・ジャズやフュージョンに傾倒します。1976年には、ハービー・ハンコックの「V.S.O.P.クインテット」に加わり人気を博しました。

名声を欲しいままとした天才ドラマー・トニー・ウィリアムスですが、51歳の時、胆嚢の手術の後、心臓発作でこの世を去りました。

Fred

Mom and Dad

ブライアン・ブレイド(1970-)

ブライアン・ブレイドは、1970年に米国ルイジアナ州に生まれました。幼い頃はヴァイオリンを弾いていましたが、兄の影響をドラマーに転向。18歳の時、ジョシュア・レッドマンやケニー・ギャレットのサイドマンとしてデビューを果たします。

ジャズドラマーとしてウェイン・ショーターやチック・コリアなど、ジャズ界のレジェンドとの共演のみならず、ブライアンはジョニ・ミッチェルやボブ・ディランといったロック・ミュージシャンからも引っ張りだこです。

その歌うようなドラミングが好評を博し、1997年には、自らがリーダーを務めるバンド「ブライアン・ブレイド&ザ・フェロウシップ・バンド」で活躍。2009年には、なんと自らギターを弾いてボーカルを務めるアルバム「Mama Rosa」を発表しています。フォーキー・テイストな楽曲で声もめっちゃ渋いです!

Red River Revel

Loving Without Asking

Mercy Angel

ブライアン・ブレイドのボーカル作品。とってもチルアウトなサウンドで癒されます。

ユリシス・オーウェンズJr(1986-)

ユリシス・オーウェンズJrは、1986年に米国フロリダ州に生まれました。新進気鋭のジャズ・ドラマーとして、いま大注目のジャズ・ドラマーです。ジュリアード音楽院でジャズを学び、パティ・オースティンやテレンス・ブランチャードなど、一流ジャズプレイヤーのサポートを勤め、今ではニューヨークで最も多忙なドラマーとして活躍しています。

Unanimous

2012年にリリースされた、ポスト・ハード・バップの名演を収めたアルバムです。

まとめ・感想

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ジャズのドラムって、ロックと違って叙情性溢れる繊細なタッチで、心を揺さぶられます。

サポートとしてのポジションが多いようにも思いますが、ドラムは最も曲の雰囲気を変えてしまう性質を持っていて、時にはドラマーが場を制してしまうこともしばしば。

やっぱりドラムがかっこいいと、ジャズも楽しく聴けちゃう気がします。

以上、ベア三郎でした!

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